沿革
1877年3月 | ![]() |
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1889年 | 東京銅鐡金物商店番付に掲載される。 |
1919年7月 | ![]() |
1923年 | 関東大震災には焼けただれたシャフト、パイプ等が各所に山積していたが、その再生に成功、帝都復興資材として大いに活用された。このことについては後日、内閣総理大臣より感謝状を受領した。 |
1935年 | 小川仙太郎商店を解散し、新たに資本金19万8千円の合資会社大日本引抜シャフト製造所を作った。法人に改組したのを機会にコストダウンを計るため従来の旋盤引に代えて引抜による3インチ径の丸棒シャフトの製造に踏み切って努力した結果ついにこれに成功した。この事は、太径物も引抜製法により容易に製造した道を開拓したものとして業界より高く評価されている。 |
1945年2月~4月 | この間2回にわたり神田本店営業所及び日暮里工場が爆撃を受けて灰燼に帰した。終戦と同時に工場を再建し、各種企業がデッドストックしていた焼シャフト焼きパイプなどの修理再生を引き受け、廃品を新品同様の物として依頼主に引き渡したため、各方面から大いに喜ばれ、感謝された。これによって、疲弊した産業界に対して多少なりとも貢献することができたのは、当社にとって忘れられない一駒である。 |
1948年 | 株式会社日本シャフト製造所を設立。これに日本シャフト工業合資会社を吸収合併した。 |
1957年 | 日本シャフト商事株式会社を東京都千代田区神田鍛冶町2丁目8番地に設立し、みがき棒鋼の販売を開始した。 |
1969年 | 株式会社日本シャフト製造所を日本シャフト製造株式会社に社名を改めた。 |
1970年 | 千葉県沼南町へコイル工場を建設し合理化設備を完了した。 |
1980年 | 日暮里工場閉鎖し沼南工業団地へ集約。 |
1990年 | ○■HEXなどの引き抜きを主に機械加工部品の製造に着手。 |
2000年 | 最大Ф160ミリの丸棒およびパイプの精密切断機の導入。 |
2005年 | NC旋盤機や油圧式転造盤を導入して更なる加工部品や検査設備の拡大による試験機械を導入。 |
2006年6月 | ISO9001認証取得。 |
2008年10月 | 千葉工場 CB型連続抽伸機更新。 |
2012年5月 | 千葉工場 メカニカルディスケーリングマシン(ショットブラスト)更新。 |
2012年12月 | 事務所社屋を新建築。 |
2017年3月 | 創業140周年を迎える。 |
2018年2月 | 柏加工センター建設、稼働開始。 |